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大阪地方裁判所 平成7年(ワ)9493号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

太田哲郎

被告

友定株式会社

右代表者代表取締役

友定正男

右訴訟代理人弁護士

勝部征夫

髙橋司

桑森章

木村哲彦

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、一九八二万四七一八円及びこれに対する平成七年九月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  労働契約

原告は、繊維製品製造販売を業とする被告との間で、昭和四四年四月一日、労働契約を締結した。

2  安全配慮義務違反

(一) 被告は、労働契約に基づき、従業員が労務を遂行するに当たり、従業員の生命・身体・健康を保護するよう配慮すべき安全配慮義務を負っている。

(二)(1) 原告は、昭和一八年一二月三日生まれで、平成五年一二月三日、満五〇歳となった。

(2) 原告は、平成五年春の健康診断の際、最高血圧一七〇mmHg(以下、血圧につき単位同じ。)と診断され、同年末には体調がすぐれなかった。

(三)(1) 原告は、平成五年一二月当時、被告において、営業部門から報告された小売店の注文を整理して、下請業者に発注し、製造量、製造単価等を調整するなどの生産管理業務(以下「本件業務」という。)に従事していた。

(2) その業務の具体的内容として、原告は、毎週月曜日から土曜日までの毎日午前中、主としてデスクワークによる生産計画の立案、電話連絡による細部の決定などを行い、あるいは納品された製品の検査をするなどの業務に従事していた。同じく毎日午後には、主として自動車を運転して下請業者を回り、製造工賃の交渉や、製品のデザイン・寸法・数量などの指導・交渉業務を行っていた。

以上のように、原告の従事した本件業務は、ストレスのたまる折衝業務を中心とした業務であった。

(四) 原告は、被告によって、平成五年一一月二九日から同年一二月三〇日まで、休日はわずか一日(同年一二月二一日)という過重な労働を余儀なくされた。

(五)(1) 被告は、高齢で高血圧の持病がある原告のような従業員に対しては、繁忙期である年末といえども、従業員の交替制を採るなどして、少なくとも一週間に一日は定期的に休日を確保し、かつ、従業員が休養を必要とする場合には休暇を取得させるなどして、疲労と精神的ストレスが蓄積しないような労働環境を確保する義務があった。

(2) しかるに、被告は、平成五年一二月当時、有給休暇を規定した被告就業規則を原告ら従業員に開示せず、かつ、事実上休暇申請をできないような体制を作り、右の義務を怠った。

(六) 原告は、被告の右安全配慮義務違反の結果、疲労と精神的ストレスが蓄積し、平成五年一二月三一日午後、原告の自宅において、破裂脳動脈瘤による急性くも膜下出血及び脳室内出血(以下「本件疾病」という。)が発症した。原告は、本件疾病により緊急手術を受けた後、くも膜下出血後水頭症の手術も受けた。

(七) 原告には、現在、労働者災害補償保険法施行規則一四条一項に定める別表第一の障害等級表の障害等級(以下「障害等級」という。)第九級に該当する障害が残っている。

(八) 原告は、被告の安全配慮義務違反により、次のとおり、一六七一万五六六四円の損害を被った。

(原告の前年の収入)×(五〇歳男子の新ホフマン係数)×(後遺障害別等級表の第九級の労働能力喪失率)

=四一四万円×一一・五三六×〇・三五

=一六七一万五六六四円

3  解雇予告手当

(一) 被告における原告の給与は、毎月二〇日締めの同月二七日払いであった。

(二)(1) 被告は、身体障害者であった原告に対し、平成六年一〇月二七日、平成六年一〇月分の原告の賃金(その前月までは三一万四一九〇円であった。)を、五万円減額して支給した(以下「本件減給」という。)。

(2) 原告は、被告会社代表取締役社長である友定宗彦(以下「被告社長」という。)に対し、平成六年一〇月二八日、本件減給の理由を尋ねたが、同人はそっぽを向いて「わしは知らん」と言った。

(3) 原告は、右の後に被告経理担当の瀬尾寛(以下「瀬尾」という。)に本件減給の理由を尋ねたが、同人は「会長に聞け。」と言った。

(4) そこで原告は、平成六年一〇月三一日、被告会社代表取締役会長である友定正男(以下「被告会長」という。)に対し、「どうして給料を五万円も減額するのですか。これではとても生活できません。これは私に辞めろということですか。」と聞いた。被告会長は、原告に対し、「会社も苦しいので、わしと、お前と、部長の尾崎の給料を減額した。尾崎も『辞めろということですか。』と言って怒っていたよ。」とにやにやしながら言い、これに対して原告がむっとしたところ、被告会長は原告をにらみつけた。

(5) 以上のように、被告は、原告に対し、平成六年一〇月三一日、同日付で原告を解雇する旨の黙示の意思表示をした。

(三) 右意思表示は、解雇の三〇日前の予告なく行われたものであるから、被告は、原告に対し、次のとおり、解雇予告手当三〇万四〇五四円を支払う義務がある。

(平成六年一〇月分の原告の給与)÷(平成六年一〇月の日数)×(予告期間三〇日)

=三一万四一九〇円÷三一日×三〇日

=三〇万四〇五四円(一円未満切り捨て)

4  退職金

(一) 被告は、原告に対し、平成六年一〇月三一日、請求原因3(二)記載のように、解雇をする旨の黙示の意思表示をした。

(二) 仮に、前項記載の黙示の解雇の意思表示が認められないとしても、平成六年一〇月二七日、被告が同日行った本件減給に対し、これが原告と被告との労働契約の際に提示されていた労働条件と相違することから、労働基準法一五条二項の適用ないし準用により、原告は、被告に対し、労働契約の即時解除をなしたものである。

(三) したがって、(一)、(二)のいずれの場合であっても、原告は、あらかじめ被告の承認を得ずに一方的に退職したのではなく、会社都合で退職したものである。

(四) 被告の退職金規程二条(1)(ロ)は、従業員を会社の都合により解雇する場合の退職金の計算式を定めているが、それによると、原告の退職金は、次のとおり、五七七万五〇〇〇円である。

(基本給)×(勤続二五年の従業員が会社都合退職したの(ママ)場合の倍率)

=一六万五〇〇〇円×三五

=五七七万五〇〇〇円

(五) しかるに、被告は、原告に対し、平成七年三月一〇日、「予め会社の承認を得ずに一方的に退職したる者」として、被告退職金規程四条(3)に基づき、次のとおり、退職金として二九七万円を支払ったのみである。

(基本給)×(勤続二五年の従業員があらかじめ会社の承認を得ずに一方的に退職した場合の倍率)

=一六万五〇〇〇円×一八

=二九七万円

(六) したがって、被告は、原告に対し、未払退職金二八〇万五〇〇〇円を支払う義務がある。

5  よって、原告は、被告に対し、労働契約の付随的義務としての安全配慮義務違反に基づく損害賠償として一六七一万五六六四円、労働基準法二〇条に基づく解雇予告手当として三〇万四〇五四円、労働契約に基づく未払退職金として二八〇万五〇〇〇円の合計一九八二万四七一八円及びこれに対する、訴状送達の日の翌日である平成七年九月二九日から支払済みに至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2(一)  同2(一)のうち、一般論として使用者が労働契約に基づき、従業員に対する安全配慮義務を負う場合があることは認める。

(二)(1)  同2(二)(1)は認める。

(2) 同2(二)(2)は不知ないし否認する。

原告は、平成五年六月八日の健康診断では、最低血圧九六、最高血圧一五六と診断されていた。また、同年末ころ、原告から被告に対し、体調が不良であるとの申出はなかった。

(三)(1)  同2(三)(1)は、原告が本件疾病発症当時、被告において、下請業者に注文や工賃の内容を告げる業務に従事していたことは認め、その余は不知。

被告において、工賃や注文量の決定権は、被告社長が有しており、原告は、右権限を有してはいなかった。原告の業務内容は、下請業者の納期や工賃に関する情報を被告社長に報告し、被告社長の決定した工賃等を、下請業者に伝達することであった。たとえ下請業者に断られても、原告はその都度被告社長の判断を仰ぐだけであった。

(2) 同2(三)(2)は、原告が、毎週月曜日から土曜日まで毎日午前中は主としてデスクワークを行っていたこと、同午後は下請業者回りもしていたことは認め、その余は不知。

原告は、被告において、下請業者に対する注文の工賃等につき決定権限を有してはいなかった以上、下請業者と工賃等につき交渉することはありえない。原告が自動車で下請業者を回るのは、被告が裁断した生地を下請業者に届けるためであるが、その回る軒数は、通常一日一、二軒、多い日でも三、四軒であったに過ぎない。

以上のとおり、原告が本件疾病発症当時に従事していた本件業務は、単純かつ体力を要しない作業が多く、過重労働とはいえない。

(四)  同2(四)のうち、原告の平成五年の年末における休日の取得状況は認め、それが過重な労働であったとの主張は争う。前項記載のとおり、原告の業務は、過重労働とはいえない。

(五)(1)  同2(五)(1)のうち、被告においては年末が繁忙期である点は認め、その余は否認ないし争う。

(2) 同2(五)(2)は否認ないし争う。

被告では、繁忙期である一二月を含め、申請さえすれば、年次有給休暇も、休日出勤した場合の代休も自由に取得できるような運用をしていた。被告が、原告に対し、年次有給休暇及び休日出勤の代休の存在を無視して出勤を強要した事実は、原告の本件疾病発症前一か月を含め、これまでに全くなかった。

被告の就業規則も、被告経理担当の瀬尾の席のロッカー内に常備されており、従業員であればいつでも閲覧することが可能であった。

(六)  同2(六)のうち、原告が、平成五年一二月三一日、破裂脳動脈瘤による急性くも膜下出血及び脳室内出血を発症して緊急手術を受けたことは認め、その余は否認する。

原告の被告における勤務状態と、原告に発症した疾病との間には因果関係がない。

(七)  同2(七)は不知。

(八)  同2(八)は争う。

3(一)  同3(一)は認める。

(二)(1)  同3(二)(1)は、原告が身体障害者であるとの点は不知、その余は認める。

(2) 同3(二)(2)は不知。

(3) 同3(二)(3)は否認する。

(4) 同3(二)(4)は否認する。

(5) 同3(二)(5)は否認する。

被告が、原告に対し、本件減給をしたのは、平成五年以降、被告が経営困難な状態のために人件費削減が余儀なくなったからであり、あらかじめ原告に対して右状態の説明をするつもりであった。原告は被告に二〇年以上も勤務していた者であって被告の功労者であるから、被告は、原告を解雇する意思を全く有していなかった。

原告が、平成六年一〇月二八日、本件減給について怒りをあらわにし、被告を辞めてやると口走ったのに対し、瀬尾は、原告に対し、自分も口添えをするのでとりあえず被告会長と話をせよ、病後の体で再就職先も事欠くことであろうし定年まで勤め上げれば退職金をもらえるなどと告げ、原告の慰留に努めた。

被告会長は、原告に対し、平成六年一〇月三一日、結果的に原告に無断で本件減給を行ったことを謝罪し、退職につき翻意するように説得したが、原告はこれを振り切り、翌一一月一日、原(ママ)告に対して退職届を提出した。

右退職届提出後、原告は被告に出社しなかった。被告は、原告から提出された退職届を、当初は受理しなかったが、原告からの求めに応じ、離職票を平成六年一一月二二日ころに原告に送付した。

以上の事実経緯から明らかなように、原告は、被告の慰留にもかかわらず、自ら一方的に被告を退職したものであるから、被告に解雇予告手当の支払義務はない。

4(一)  同4(一)は否認する。

(二)  同4(二)は争う。

本件減給は、特別手当を対象にしたものであって、これは当時の被告給与規程に規定されていなかったのであるから、「明示された労働条件が事実と相違する場合」(労働基準法一五条二項)に該当せず、そもそも労働契約を即時解除できる場合に当たらない。

(三)  同4(三)は争う。

請求原因に対する認否3(二)(5)、同4(二)に記載のとおり、被告は原告を解雇する旨の意思表示をしておらず、かえって原告が被告の慰留を振り切って退職届を被告に提出し、しかも、本件は労働契約を即時解除できる場合に当たらないのであるから、原告は会社都合で被告を退職したのではなく、自ら一方的に被告を退職したものである。

(四)  同4(四)のうち、被告に退職金規程があること、その二条(一)(ロ)及び退職金倍率表によれば会社の都合により従業員を解雇した場合の退職金倍率が三五であること、原告の基本給が月額一六万五〇〇〇円であることは認めるが、その余は争う。

(五)  同4(五)は認める。

(六)  同4(六)は争う。

三  被告の主張

1  自己保健義務違反(請求原因2に対し)

(一) 使用者が従業員に対して一般的な意味で安全配慮義務を負っているのと同様に、労働者自身も、私生活において、自己の身体を管理する義務(自己保健義務)を負うものである。

職場に存する特別の健康障害要因に基づく疾病ではない一般私病については、本来労働者の私生活上の問題、即ち労働者自身が負う自己保健義務の範疇の問題であり、一般私病については使用者が予防義務を負うものではない。そして、使用者が労働者の一般私病について注意義務等を負うのは、労働者が自己の身体の異常を使用者に申告した後に限られるものである。

(二) しかるに、原告は、被告に対して、平成五年末ころ、体調が不良である旨の申出も、休養等を理由とする年次有給休暇、代休の申請もしなかった。

被告としては、原告から体調不良の申出も、休養等を理由とする年次有給休暇、代休の申請もなかった以上、被告には原告の勤務状態に対する特別の配慮をする義務が存しなかったものである。

(三) 原告は、本件疾病発症前の平成四年六月二四日、高血圧で要治療と診断されたのに、完治する前に、自己の判断で通院をやめてしまった。その後、平成五年六月八日には、高血圧症で未治療であると診断されたのに、自己の判断で高血圧症の治療を受けなかった。

さらに、原告は、本件疾病発症の数年前から、健康診断の度に、医師から、血圧が高いので飲酒は控えるようにとの指示を受けていたが、原告はこれに従わなかった。

原告は、本件疾病発症直前まで、毎日三〇本の割合で喫煙していた。

(四) 以上のように、原告には自己保健義務違反があったものである。原告の本件疾病の発症は、原告の自己保健義務違反によるものであって、本件疾病との間には因果関係がない。

四  被告の主張に対する反論

1  被告の主張はいずれも争う。

原告は、晩酌の習慣はあったものの、その量はごくわずかなものである。しかも、原告が本件疾病を発症した平成五年一二月当時には、原告は職場から戻ると疲労困憊の状態で、体が晩酌を受け入れない状態であったので、ほとんど晩酌などしていない。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これらを引用する。

理由

第一安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求について

一  請求原因1(労働契約)について

請求原因1は、当事者間に争いがない。

二  請求原因2(安全配慮義務)について

一般的に、使用者は、労働契約上の付随的義務として、従業員が業務を遂行するに当たり、従業員の生命・身体・健康を保護するよう配慮するべき義務を負うというべきであるので、以下、本件において、被告が原告に対し、右安全配慮義務を負うか否かについて検討する。

1  本件業務の過重性について

当事者間に争いのない事実及び成立に争いのない(証拠・人証略)を総合すると、原告の従事した本件業務に関し、次の各事実が認められる。

(一) 原告は、被告において、本件疾病の発症の直前である平成五年一二月当時、下請業者に発注する紳士服製造の生産管理業務に従事していた。ただし、被告が下請業者に発注する紳士服製造の注文量や工賃についての決定権は、被告社長が有しており、原告は、下請業者の製品の納期や工賃に関する情報を被告社長に報告し、被告社長の決定した工賃等を下請業者に伝達することを業務としていた。

(二) 原告は、平成五年一二月当時、毎週月曜日から土曜日までの午前中は主としてデスクワークを、同午後には下請業者回りもしており、毎週日曜日には、来店した小売客に対する小売業務及び寸法直しにも従事していた。毎年一二月は、被告の一番の繁忙期であるが、被告には小売客が増えるので、原告の業務は店内の小売業務を中心とし、下請業者回りはほとんどなくなった。

(三) 原告は、平成五年一一月二九日から一二月三〇日までのうち、休日は、一二月二一日の一日しかとらなかった。同期間内において、原告の最も早い出勤時刻は午前八時六分(一二月一一日)、最も遅い退勤時刻は午後六時一九分(一二月二〇日)であり、それ以外の日も、おおむね午前八時過ぎころから午前九時ころまでに出勤し、午後五時半から午後六時半までの間に退勤していた。

2  被告における従業員の代休及び年次有給休暇の取得について

当事者間に争いのない事実及び成立に争いのない(証拠・人証略)を総合すると、被告における従業員の代休及び年次有給休暇の取得について、次の各事実が認められ、これに反する(証拠略)、原告本人尋問の結果(一部)は、前掲各証拠に照らし、採用することができない。

(一) 被告を含めた繊維業界では、毎年一二月が一年の中で一番の繁忙期であり、この時期の売上げが会社の業績を大きく左右する。そのため毎年一二月は被告を含め繊維業者の入居するセンイシティーでは、休日も店を開けたり工場を稼働させるところがほとんどであり、従業員の休日出勤が珍しくない。

(二) 被告就業規則は、昭和五〇年六月三〇日付で、淀川労働基準監督署に受け付けられた。右就業規則には年次有給休暇に関する規定が存在した。右年次有給休暇に関する規定を変更する旨の就業規則変更届が平成三年四月八日に淀川労働基準監督署に受け付けられた。平成五年一二月当時、右就業規則が被告において従業員との労働内容を規律していた。

(三) 被告の全従業員は被告会長、被告社長を含めて一四名であった。被告従業員のうち、平成五年一〇月から一二月にかけて、休暇・欠勤届を提出した者が九名(原告、満田進、伊原広志、前田文子、妹尾美弘、藤原緑、米山彦三、愛甲しのぶ、増江真也)、そのうち同年一二月に二回以上代休を申請した者が三名(伊原広志が同月一五日及び二八日、妹尾美弘が同月八日及び一六日、増江真也が同月一四日及び二四日)、そのうち同年一二月に現実に代休を二日間以上取った者が二名(妹尾美弘が同月八日及び一六日、増江真也が同月一四日及び二四日)いた。

3  原告の本件疾病に至る経緯及びその原因について

当事者間に争いのない事実並びに成立に争いのない(証拠・人証略)により真正に成立したと認められる(証拠・人証略)を総合すると、原告の本件疾病発症から症状固定に至る経緯及びその原因につき、次の事実が認められる。

(一) 原告は、平成五年一二月三一日午後五時ころ、自宅風呂場で蛍光灯の傘を洗っていたところ、脳内の中大脳動脈の分岐部に存在した動脈瘤が破裂したため、急性くも膜下出血及び脳室内出血が発症し、直ちに大阪市平野区所在の回生会藤田病院に入院した。原告は、平成六年一月四日、同病院青柳医師らによって、左中大脳脈瘤クリッピング術を施行された。

さらに、原告は、くも膜下出血後水頭症が発症し、平成六年二月三日、同病院において、青柳医師らによって、水頭症手術が施行された。

その後、原告は、平成六年二月二六日、同病院を退院した。

(二) 原告は、平成七年一一月二八日、本件疾病につき症状が固定し、失語症、見当識障害等の、障害等級第九級に該当する後遺症が残った。

(三) 原告の本件疾病は、原告の中大脳動脈の分岐部に存在した、直径三ないし七ミリメートルの嚢状動脈瘤が破裂したために発症したものである。

(四) 一般的な動脈瘤の成因は未だ定説をみないが、そのうちの嚢状動脈瘤の成因については、高血圧とストレスに関連するとする意見が多い。

(五) 原告(昭和一八年一二月三日生まれ)は、平成四年六月二二日には、最高血圧が一七〇、最低血圧が一〇六であり、平成五年六月八日の健康診断では、最大(ママ)血圧が一五六、最低血圧が九六であったが、高血圧の治療のために投薬を必要とするか否かは、微妙な数値であった。血圧とは、固定的なものではなく、興奮すると上昇して脈も速くなり、落ち着いているときはその逆となるが、恒常的に高血圧の状態にある者は、ストレスや過労を避け、塩分を控える等の一般的な注意を払うことが必要とされている。

(六) 一般的に、ストレスも、脳動脈瘤の形成・破裂の原因たりうる。原告は、平成五年一一月二九日から一二月三〇日までのうち一二月二一日の一日を除き全て出勤したが、このような勤務状態が脳動脈瘤の形成の原因となるストレスになるか否かは、本人がこれをストレスになると感じるか否かによって大きく左右される。もし原告が非常な疲労感等の正常ではない感じを持っていたのであれば、ストレスに関連する重要な因子となりうるが、原告が嬉々として仕事をしていた場合には、ストレスとはならない場合もある。

(七) 一般的に、喫煙は、全て脳血管障害の原因となりうる。ただし、量による差及び個人差がある。アルコールは、適正な量であればかえってストレスを発散することもあるが、毎日習慣的に飲酒し、あるいは適量以上に飲酒する場合には、脳血管障害に悪影響を与えることがある。

(八) 一般的に、脳動脈瘤の破裂は、臨床的なくも膜下出血の発症一週間ないし一〇日前に小さな破裂前のくも膜下出血があり得るとされている。原告が本件疾病発症一週間前に頭痛を感じていたのは、右の小さな破裂前のくも膜下出血があった可能性は否定できない。

4  原告の高血圧症及びその治療、原告の飲酒・喫煙について

当事者間に争いのない事実(証拠・人証略)によれば、次の各事実が認められる。

(一) 原告は、平成四年六月二二日の健康診断では、最高血圧が一七〇、最低血圧が一〇六であり、平成四年六月二四日には、最高血圧が一五二、最低血圧が一一四で、高血圧治療を要すると診断された。原告は、門田診療所において高血圧症の治療を受け、平成四年八月一九日には最高血圧が一二〇、最低血圧が九〇になった。原告は、そのころ、右数値を見て高血圧症が大体治ったと自ら判断し、同診療所へ治療に行くことをやめた。平成五年六月八日には、最高血圧が一五六、最低血圧が九六であり、再度高血圧症で未治療であると診断されたが、原告は、病院で治療を受けるほどではないと自ら判断し、高血圧症の治療を受けなかった。

(二) 原告は、本件疾病の発症前、毎晩水割りを三、四杯程度飲み、一日三〇本程度のたばこを吸っていた。

5(一)  以上の各事実を総合すると、原告の本件業務は、被告社長の指示した工賃等を被告の下請業者に伝達し、あるいは店内の小売業務を中心としたものであって、建物の外に出ることはほとんどなく、自らの判断で下請業者と発注の内容について交渉し、あるいは生産量等を調整することもなかった。原告は、本件疾病前の平成五年一一月二九日から一二月三〇日までの約一か月間のうち、一二月二一日に代休を一日取得したのみであるが、その間は概ね午前八時ころから午前九時ころまでに出勤し、午後五時半から午後六時半までの間に退勤しており、残業はほとんどなかった。したがって、原告が本件疾病の発症前、ストレスの蓄積する過重な業務に従事していたということはできないし、前記就業状況に照らせば、原告が本件業務の遂行をストレスと感じていたとも考えられない。

被告は、毎年一二月が一年で一番の繁忙期であるが、被告従業員のうち、平成五年一一月から一二月にかけて休暇・欠勤届を被告に提出した従業員(九名)が、全従業員(一四名)の約三分の二を占めること、そのうち平成五年一二月中に二日間の代休を被告に申請した従業員(三名)はその三分の一を占めること、そのうち現実には同月中に二日間の代休を取得しなかったのは一名であったことから、被告においては、繁忙期であっても、従業員が休暇を取得することは可能であったことが認められるので、被告が事実上従業員に休暇を取得させない体制を取っていたということはできない。

原告は、本件疾病発症の一年以上前から高血圧症の既往症を有していたが、その程度は必ずしも重症ではなく、その血圧の数値等から本件疾病の発症までをも予測することは不可能であったというべきである。原告自身は、被告に対し、平成五年一二月当時、休暇取得の申請も体調不良の申出もしなかった。

(二)  以上によれば、原告の従事していた業務はそれ自体過重ではなく、原告は、被告に対し、現実に休暇申請が可能であったにもかかわらず、休暇申請はおろか体調不良の申出もしなかったのであり、かつ、原告の高血圧症の既往症から本件疾病を予測することは不可能であったのであるから、かかる状況下にあっては、被告が、原告が就業するにつき、その生命・身体・健康を配慮して、その安全のために、特別の措置を講じるべき義務があったということはできないというべきであるので、被告は、原告に対し、本件疾病の発症防止のために、安全配慮義務を負っていたと認めることはできない。

むしろ、前記認定のとおり、原告は、本件疾病の約一年半前、高血圧症につき「要治療」と診断されたにもかかわらず、完治する前に自己の判断で治療を放棄し、一般的に脳血管障害に悪影響を与えるおそれがあるとされている喫煙及び飲酒の習慣を改善させることがなかったのであって、これらの要因が原告の本件疾病の発症に影響を与えた可能性を否定することができないというべきである。

(三)  よって、原告の、被告に安全配慮義務が存することを前提とする損害賠償請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がない。

第二解雇予告手当及び退職金の請求について

一  請求原因3(解雇予告手当)について

1  請求原因3(一)(原告の賃金の締め日及び支払日)、同3(二)(1)(原告の賃金の減額)について

請求原因3(一)、同3(二)(1)は、当事者間に争いがない。

2  請求原因3(二)(2)ないし(五)(ママ)(原告に対する解雇の意思表示)について

(一) 前掲(証拠・人証略)、被告代表者尋問の結果によれば、次の事実が認められ、これに反する(証拠・人証略)は、前掲各証拠に照らし、採用することができない。

(1) 原告は、本件疾病発症により休職した後、平成六年五月一一日、職場に復帰した。

(2) 被告は、折からの不況の中、平成五年以降経常収支で赤字が続き、経営困難な状態にあった。そのため、被告は、人件費の削減をするべく、被告会長の賃金を削減し、定年後も嘱託として勤務を続けていた尾崎智に平成六年七月に被告を退職してもらう等の対策を講じた。しかし、これでは不充分であるとして、被告会長は、平成六年七月二〇日ころ、原告に対しても、本件減給をせざるを得ないと判断するに至った。

(3) 被告会長は、瀬尾に対し、原告へ被告の経営状態を説明し、本件減給の理解を求めるように命じた。しかし、瀬尾は、平成六年一〇月分の賃金の支払日である平成六年一〇月二七日に至るまで、本件減給につき、原告に説明をしなかった。

(4) 原告は、平成六年一〇月二七日、平成六年一〇月分の賃金を支給され、帰宅後初めて本件減給に気づいた。

(5) 原告は、平成六年一〇月二八日、瀬尾に対し、本件減給について、「こんなことをされては困る、これでは生活ができないから被告を辞める。」と言って激しく怒り、瀬尾と口論になった。瀬尾は、原告に対し、自分も口添えをするのでとりあえず被告会長と話をせよ、病後の体で再就職先も事欠くことであろうし定年まで勤め上げれば退職金をもらえるなどと原告の慰留に努めた。しかし、原告は怒りが収まらず、終業時刻前に帰宅した。

(6) 原告は、平成六年一〇月二九日及び三〇日には、一応被告に出社したものの、瀬尾が慰留してもこれを受け入れず、「辞めてやる。」と繰り返した。

(7) 被告会長は、平成六年一〇月三一日、本件減給後初めて原告に会い、本件減給に至る経緯を説明するとともに、本件減給の説明が事前になかったことにつき謝罪した。被告会長は、改めて、原告を慰留したが、原告はこれを聞き入れず、私物をまとめてそのまま終業時刻前に帰宅した。原告は、平成六年一一月一日以降、被告には出社しなくなった。

(8) 原告の妻は、平成六年一一月一三日ころ、被告に対して原告の離職票の送付を依頼する電話をかけたが、被告から直ちに右送付がなかったので、原告は、右離職票をもらうため、平成六年一一月二〇日ころ、同月一日付けで、被告に対し、「都合により退職させていただきます。」と記載した退職届を提出した。被告は、平成六年一一月一九日、労働保険事務組合協同組合新大阪センイシティーに対して離職票の発行を依頼し、これを同月二一日ころ受け取った後、同月二二日ころ、原告宛に郵送したところ、同月二五日ころ原告に送付された。

(9) 瀬尾は、原告に対し、平成六年一一月一日以降、何度も復職を促す電話をかけるとともに、労働基準監督署で、直接原告に会って復職を促そうとしたが、原告は、労働基準監督署に出頭しなかった。被告会長は、原告と直接会って復職を促そうと何度も呼び出しをかけたが、原告が被告に出頭したのは、平成六年一二月、平成七年二月、平成七年三月の各一回の三回だけであった。被告会長は、その席で、原告に対し、復職を促したが、原告はこれには応じなかった。平成七年三月に原告が被告に出頭した際は、原告は、退職金はB率(あらかじめ被告の承諾を得ず一方的に退職した場合)ではなくA率(会社都合退職の場合)に従って算定するように求めたが、被告会長は、これに対し、退職金をA率に従って支払うことはできないが、本件減給につき予告をしなかったことの慰謝料として、五〇万円をB率の退職金に上乗せして支払うとの申し入れをしたが、原告はこれに応じなかった。

(10) 被告は、原告に対し、平成七年三月一〇日、本件減給分五万円及びB率の退職金二九七万円(ただし、現実の送金額は、支払済みの七一万六七〇六円を差し引いた二二五万三二九四円)を支払った。

3  以上の各事実を総合すると、被告が原告に対して本件減給をしたのは営業不振を乗り越えるための人件費の削減が目的であり、あらかじめ原告に対して本件減給につき理解を得る予定であったこと、本件減給に対して辞意を表明した原告を瀬尾と被告会長が繰り返し慰留したこと、それにもかかわらず原告は被告に対し自ら退職届を提出し、被告の慰留には応じなかったことが認められるのであるから、被告は本件減給により原告を解雇したものとは認めることはできない。

4  したがって、被告が原告を解雇したのでない以上、原告の被告に対する解雇予告手当金の請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がない。

二  請求原因4(退職金)について

1  請求原因4(一)(黙示の解雇の意思表示)について

請求原因4(一)は、前記一2記載のように、これを認めることはできない。

2  同4(二)(労働契約の即時解除)について

労働基準法一五条は、労働契約の締結に際して、使用者が労働者に対して労働条件を明示すべきことを使用者に義務づける(同条一項)とともに、明示された労働条件と現実の労働条件とが相違した場合に、労働者に即時に労働契約を解除することを認めて労働者の救済措置を定めた(同条二項)ものであって、雇入後に労働契約又は就業規則が変更された場合を律するものではないので、この場合に、労働者に同条二項所定の即時解除権が発生する余地はない。

本件において、被告による原告の本件減給は、原告の雇入後になされたものであるから、即時解除ができない場合に該当し、よって原告の即時解除の主張は失当である。

3  以上によれば、原告が会社都合により退職したとの原告の主張はいずれも理由がない。かえって、前記一認定によれば、原告は、退職届を提出して、自らの意思により被告を退職したものというべきである。

4  したがって、原告が会社都合により被告を退職したことを前提とする原告の退職金請求は理由がない。

第三結論

よって、原告の請求はいずれも理由がないので失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中路義彦 裁判官 長久保尚善 裁判官 森鍵一)

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